写真展廃村に思うこと
企画 木村友和
廃村に思うこと
日本全国で「廃校 廃村」はおよそ1000カ所といわれています。
この写真の廃村はそのうちの一つで、福井県若狭・川の上流に位置し、昭和41年揚水発電所計により全戸が移住したため廃村となりました。今はかつての神社や寺は朽ち果て 家屋は荒れ果て、子供たちが遊んだブランコやスベリ台も赤さびた姿をさらしています。4つの集落から子供たちが通った旧小学校は跡形もなく記念碑が歴史を記録しています。
私はこの廃村の朽ち果てた神社や寺を前に佇むと懐かしい童話「村の祭り」の歌が聞こえてくるのです。
この山村集落は木地師の村で当時決して豊かではなかったが、村民たちはコミュニティや神社やお寺の行事を通じ自然との絆におおきな満足を見出していたのではないのでしょうか。
ひるがえって私たちは「コミュニティと家族が破綻をきたし、次第に孤独感の深まる世界に」暮らしているのではないでしょうか。社会はIT やAIの急激な進化により大きく変貌しつつあり、経済格差や学歴格差ひいては医療格差が進んでいます。物質的充足を幸せと思いそれを追い求めているのではないでしょうか。
幸福とは「主観的厚生」(心の中で感じるもの)と言われていますが、このような現実を見ると文明の進歩は我々に幸福をもたらしているのだろうか。はなはだ懐疑的にならざるを得ません。
私はこの廃村の風景に人類史には瞬時の過去ではあるが、過去の社会生活におもいを馳せると同時にこれからの人類の未来はどんなになっていくのだろうか?
今こそ 我々は叡知を集め、考え、将来の人間が等しく幸を感じる社会を実現するための確かなビジョンを構築し、民主的手法でそれに向かって進めていかねばとの思いに馳せられるのです。
今 社会のボーダレス化、グローバル化による世界的なコロナ禍にあってこの廃村の風景写真が社会のありようについて考える機会になればと思い、この写真展を企画いたしました。
これらの写真は我々素人の手によるもので、美術性や現実世界を鋭く観察する芸術作品からは程遠く 単なる風景写真であることをご了承ください。
2121年2月
制作 木村友和 山田顕広
撮影 山田顕広 木村友和