[特別企画]市田ナカ はり絵展87歳からのチャレンジ
市田ナカは大正8年(1919)京都市に生まれ育ちました。この地区は夏の伝統行事「祇園祭」で鉾が建ち
ならぶ古都の真ん中です。伝統を大切にする一方で先取の気運旺盛な精神風土をもつ土地柄ですが、その
精神は彼女の中にも強く受け継がれていたようです。
高等女学校を卒業後、小学校教員となりますが、やがて不幸な戦争をむかえることになります。しかし
その暗い時期でも彼女の自由と美術への憧れは膨らむばかりでした。そして戦後の民主的で自由な時代の
なかで、彼女は開放されたようにいっそう子供の教育にすべてを賭けるようになります。以降、昭和54年
(1979)まで小学校の教師一筋の生活がつづきました。
この間に赴任した京都の小学校は8校を数えますが、特筆すべきは戦後から一貫して小学校低学年を対
象に実施してきた造形教育です。その教育プランはいわゆる“お絵描き”ではなく、子供たちの興味や感
性を引き出すアイディアに満ちたものでした。たとえば動くおもちゃ、給食に使う紙のランチョンマット、
校内に貼るポスター、みんなで描く京都地図、などで枚挙にいとまはありません。ひと言でいえばヨーロ
ッパ的なデザイン造形教育に近いものでした。
退職後しばらくして開設まもない京都市御池老人デイサービスセンターに通うようになります。ここで
体験した「はり絵」の時間が大変気に入り老後の生活を一変させます。帰宅後も独自に長時間にわたって
楽しく制作に没頭するようになりました。
平成21年(2009)90歳の誕生日をまえに急逝しますが、この3年間に制作した「はり絵」は実に100
点をこえます。その一点一点は、老後であっても創作がいかに人生を豊かなものにするかを雄弁に語って
くれているようです。 高島雍子(次女)
略歴(1919〜2009)
1919年(大正8年)京都市中京区に生まれる。
1932年(昭和7年)京都市立二条高等女学校入学
1938年(昭和13年)同校補習科卒業
1940年(昭和15年)京都市国民学校初等科訓導講習終了
1941年(昭和16年)市田一郎と結婚
1959年(昭和35年)京都大学文学部美学美術史科内地留学終了
2009年(平成21年)逝去(享年89歳)
職歴
1940年(昭和15年)京都市淳和第二尋常小学校勤務
以降、京都市御室尋常高等小学校、京都市第二錦林国民学校、京都市醒泉小学校、
京都市京極小学校、京都市衣笠小学校、京都市北白川小学校、京都市乾隆小学校に
赴任
1979年(昭和54年)退職
1979年(昭和54年)京都YMCA文化部工作科教室講師
1979年(昭和54年)ふたぱ児童造形教室開設
教育研究等
“デザイン学習について一考察”発表(京都市公立学校図画・工作教育研究会)
児童デザイン作品展開催(東京銀座“なびす画廊”)
“子どものデザイン学習”発表(東京教育大学付属小学校)
“デザイン学習の発想”発表(日本美術教育学会)
“市田ナカはり絵展”開催(京都・万華鏡ギャラリー)